意味づけのない世界へようこそ

世界と私との戦いが止む時、愛が立ち現れる

「私」が消える瞬間

安堵 爽やかな静寂 全能感 幸福感 平和 が湧き起こる

あらゆるものが圧倒的

枯れ草も、薔薇も、泥も、山頂から見る景色も、すべて等しく圧倒的な愛の現れ

意味づけのない世界へようこそ

桜は、春に私たちの目を楽しませてくれます。
満開の桜も、風に散る桜も、葉桜も、
それぞれの趣があります。

その桜に対して、「秋に咲いてくれたらよかったのに」と思ったことはあるでしょうか?
または、「青い花びらだったらよかったのに」と思ったことはあるでしょうか?
ありのままの桜を素直に見るとき、私たちは爽やかで、幸せです。

「私」は恐れ続けている

人や物事に対しては、どうでしょうか。
「この人は、もっとこうあるべきだ」
「社会が、もっとこうだったらいいのに」
「こんなことは、あってはならない」

このような考えと共にあるとき、心は乱され、その対象に影響を受けることを恐れています。
しかし、「私」という存在は、満足しない思考を繰り返す仕組みそのものなので、
誰も悪くありません。

「私」という仕組みから離れる遊び

「私」の思考をメタ認知するとき、
思い煩わなくてよいことに心身を消耗していたことに気づくかもしれません。
やらなくてよい作業に相当な時間と労力を費やしていたことに気づくかもしれません。
そして、温泉に浸かったような深い安堵に包まれるかもしれません。

ここにも意味はありません。
物事への意味づけをやめたら、どんなふうに意識がシフトするのかという遊びのような実験です。

Let Nature be your teacher
自然を汝の師とせよ

自然は常に、「私」という囚われの意識から離れる機会を与えてくれています。それは、スポーツでよく言われる「ゾーン」に入る境地とも言えます。自然は見る対象でありながら、ありのまま見られることを促す力があるため、人を赦し(ゆるし)の境地に誘います。人は、自然を赦しているから、自然に癒やされるのです。


STEP1
STEP2
STEP3
STEP4

STEP1

頭と行動がどのように関連しているかメタ認知する

過去の経験や情報などから作られる観念・信念・思考傾向によって、「私」は何でもジャッジします。それが現実に投影されます。それに「私」が反応して、観念・信念・思考を強化します。このループをまずメタ認知して、実感します。これをメタ認知するには、第三者の助けが有効です。なぜなら、「私」は信じていること以外、信じられないからです。

STEP2

あるがままを見るという「赦し(ゆるし)」を体感する

思考が常に世界をジャッジして、頭にノイズを響かせていると気づいたら、今度は、自然の力を借りて、自然をありのままに見てみます。野の花に「私をもっと愛して」と求めないように、枯葉に「枯れないように何とかできなかったの?」と責めないように、私たちは自然をありのまま見ることができます。それを極めて、徹底的に一切の意味づけを止めるとき、圧倒的な愛が立ち現れます。それが赦し(ゆるし)です。

STEP3

自然に溶けたような体感を味わう

圧倒的な愛が力強く立ち現れると、見ている「私」と対象が一体となるような感覚、さらに、「私」が対象そのものであるという感覚が起こります。

そのとき、深くほっとするような安堵感  ししおどしが鳴った後のような爽やかな静寂  幸福感  全能感  などが湧くことがあります。

それらは、「私」が日頃、何かを達成することで得られるだろうと期待する、本当に欲しいものかもしれません。

STEP4

「私」からの解放を日常に応用

自然界には、よく観察すればわかりますが、競争も協力もあります。家族愛や同胞愛もあれば、狡猾さや残忍さもあります。痛みや死とはいつも隣り合わせです。しかし、私たちはそれが完璧な営みだと知っています。その上で、自然は素晴らしいと言ったり、厳しいと言ったりします。

人の世界も同じように見られるでしょうか。あなたが日常の世界を同じように見るとき、あなたは赦(ゆる)しています。世界はあなたによって癒やされ、平和です。

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