意味づけのない世界へようこそ
桜は、春に私たちの目を楽しませてくれます。
満開の桜も、風に散る桜も、葉桜も、
それぞれの趣があります。
その桜に対して、「秋に咲いてくれたらよかったのに」と思ったことはあるでしょうか?
または、「青い花びらだったらよかったのに」と思ったことはあるでしょうか?
ありのままの桜を素直に見るとき、私たちは爽やかで、幸せです。
「私」は恐れ続けている
人や物事に対しては、どうでしょうか。
「この人は、もっとこうあるべきだ」
「社会が、もっとこうだったらいいのに」
「こんなことは、あってはならない」
このような考えと共にあるとき、心は乱され、その対象に影響を受けることを恐れています。
しかし、「私」という存在は、満足しない思考を繰り返す仕組みそのものなので、
誰も悪くありません。
「私」という仕組みから離れる遊び
「私」の思考をメタ認知するとき、
思い煩わなくてよいことに心身を消耗していたことに気づくかもしれません。
やらなくてよい作業に相当な時間と労力を費やしていたことに気づくかもしれません。
そして、温泉に浸かったような深い安堵に包まれるかもしれません。
ここにも意味はありません。
物事への意味づけをやめたら、どんなふうに意識がシフトするのかという遊びのような実験です。